2/1(土) 左手のピアニスト事前交流会 <東山小学校音楽室にて>

NHKEテレ特集(2013.11)にも出演された、左手のピアニスト・智内威雄さんを瀬戸にお招きします!
ジストニアという病気によって、右手が使えなくなるというハンディを 見事に個性にかえ、
すばらしい左手の音楽を聴かせてくれる智内さん。 心に響く本物の音を作り出す、智内さんの「お話+ちょっぴりピアノ演奏♪」の会です。 第1部は低学年、第2部は高学年向きに、各年齢にあったお話をしていただきます。 是非 親子でご参加下さい。

<智内さんに関する情報>


〈智内威雄プロフィール〉
東京音楽大学卒業後、1999年ドイツ・ハノーファー音楽大学に留学。2000年グリーグ国際コンクール、マルサラ国際コンクールにて入賞。その直後、右手に局所性ジストニアを発症。大学を休学しリハビリに専念する。2003年左手のピアニストとして活動を再開。2005年左手のみで行った室内楽の卒業試験で満場一致の最優秀成績を収める。2006年広島交響楽団との共演で絶賛される。2007年日本で本格的な演奏活動を開始。2010年片手演奏の希望を広める任意団体「左手のアーカイブ」を立ち上げ、左手楽曲の演奏資料作成、楽譜収集、演奏方法等をまとめる活動をしている。2012年より初心者の為の楽譜作成など、本格的に片手演奏のピアニストの為の環境整備も開始する。

♪ 『NHKきょうの健康』 2012年4月号より抜粋

歌い手だった母の手ほどきで、3歳からピアノを始め、ピアノとともに成長しました。
東京音楽大学を経て、ハノーファー音楽大学に留学。しかし、25歳、留学2年目の演奏会のとき、右手のコントロールがきかなくなり、ドレミファソラシドさえひけなくなってしまったのです。診断は、「ジストニア」。脳や神経系統の何らかの障害が原因と考えられています。
休学して、リハビリに専念。ピアノの一音一音を弾きながら、硬直した筋肉を意識的に緩める訓練をしました。毎日自宅で5~6時間、リハビリに励みました。2年ほどで、右手は日常生活に不自由がないまでに回復。
しかし、どうしてもこえられない壁にぶつかります。「ピアニストとしての復帰は無理だ。自分にはもう何もなくなった。頭のてっぺんから足の先までゼロ。」という強い虚脱感に襲われました。
ピアニストとしての道を諦めようと考えていたときハノーファー音楽大学の恩師から、左手で弾くための楽譜を手渡されました。それを弾いてみた途端、思いがけない衝撃が走りました。そこには、左手でしか表現できない、奥深い音楽世界と、私が求めていた音の響きがあったのです。希望の光を見つけました。うれしかったですね。
ヨーロッパでは、右手に障害が生じたピアニストのために左手の楽曲が生まれ、ひとつの分野として左手の音楽が確立しました。しかし、時を経て左手のピアニストが少なくなり、弾き手のない楽曲はいつしか埋もれてしまったのです。それならば、私が左手のピアニストとして、左手の音楽のすばらしさを伝えようと決心。それから左手の演奏技術を独学で研究しました。片手演奏では手が休むことがないので、手を傷める危険があります。脱力を重視し、疲労がたまらない弾き方を工夫するなど、試行錯誤を重ね、納得できるレベルに達するまでに3年かかりました。
ノーファー音楽大学に復帰し、演奏会で左手一本で弾いた私が、両手のピアニストより大きな拍手をもらったときは、やった!と。
左手の音楽の魅力は弱点が個性になっているということです。ピアノを弾く指の数は半分になりますが、音楽の質が半分になるわけではありません。口数の少ない人の言葉が心にしみるように、私は、ジストニアを患い、リハビリを通して、障害という弱点と真剣に向き合いました。そして、左手の音楽と出会い、弱点を生かすことで、弱点は魅力に変わり、個性になるということを教えられました。 病気や障害を抱えていると、できないことばかり数えてしまいがちですが、右手が不自由でも左手があれば、できることはたくさんあります。
現在、左手の楽譜を発掘し、演奏を録音、録画してホームページで公開する活動にも力を入れています。このプロジェクトを次の世代につなげていきたいと考えています。私が左手の音楽からもらった希望を、誰かの心にお届けできればうれしいですね。

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